【100人も子どもがいるのに、とても静かなのは。】

   

例えば子どもが10人もいたら、騒がしくなるのが普通だと思う。走り回る音、ふざける声、先生の指示、笑い声。
 

      
それがここは、とても静かなのだ。
それは彼らが 

 
     
耳が聴こえない子どもたちだからだった。
 

   
     
当たり前だけれど声をかけても振り向いてくれない。
しばらくして、手話のようなsignで会話をしているのを見て改めて「ああ、本当に耳が聴こえないんだ」と実感する。
      
たまに”あー”とか”ううーー”とか言葉にならない声でなにかを発するのだけど、それ以外は基本的に身振り手振りと表情で伝えようとしてくれる。
    
 
   
今回は、そんな彼らにiPadを使っての学習アプリ開発や授業を提供しているお友だちの誘いで数人の日本人とともに行ってきた。
 
  
教室を見て驚いた。
 
    
ここはカンボジアの都心から少し離れたところ。静かな森の小学校に一人一台のiPad。
そこに集中して解答をする生徒たち。問題を説明をする先生。もちろん手話で。
       
終わりの時間になっても、みんな勉強したくてたまらないようで、なかなかiPadを閉じられない。
       
 

    
いざ自己紹介をどうぞと言われた私は
身振りと手振りで日本から来た事を伝えようとしていた。
 

    
「え!?まいちゃん手話できるの!?」
と友人たちには驚かれたけど
 
      
「いやごめん!実は全然さっぱりわからん!!だからなんっも伝わってないと思うこれ!笑」
 
   
「わかんないのかよ!笑」
という感じだった。自分でも笑えた。
      
     
でも、例え手話ができなくても言葉じゃないなにかで伝えようとする姿を見せる事で、少しでも心の距離を縮めたかったのかもしれない。
 
      
言語が違くても、宗教が違くても。
できるだけ同じ世界を感じたい。
トランポリンを出すといつも同じ気持ちを思う。
         
 
  
そして、その場で使える手話を少し教えてもらった。
          
いつものようにトランポリンを組み立てる。トランポリンを初めて間もなく、可愛い歓声が聴こえた。きゃっきゃと笑う笑い声が森の中に溢れる。
 
   
みんな笑顔がかわいいなー!♡と思ったとき、
 

      
     
同時にふと。
      
"この子たちは自分の笑い声も・・・
例えば友達の笑い声も、家族の笑う声も。
聴こえないのかな・・・"
  
 
  
と思ったら。なんとも言えないような少し悲しい気持ちになったのだけど、
 

 

       
 
"あ・・・私の耳は聴こえるのに。
素敵なものを聴いていない
聴こえてないときがきっとあるんだな・・・。"
           
   
と思った。聴こえるのに、聴かない事の方がもっと悲しいのかもしれない気がした。
   
  
逆に聞かなくていいものを聴いているときもある。それはもしかしたらもっとちゃんと心の感覚を大事にしていれば
  
 
    
“この話はあまり聞かない方がいいな。”
とか
“こういう温度の話は聴こえない世界にいた方がいいな。”
   
 
     
って、もう少し自分にも優しい世界を選べたら、もっと私たちの願うそれぞれの幸せに集中できるのかもしれない。
    
      

 

 
 
      
      
そんな事を思いながら、そろそろ時間は終わりを迎え、名残惜しいバイバイをした。 
   
      
もう帰るね。と、鉄を担いで、バイクにまたがったとき、
腕あたりをぽんぽんと叩かれた。
見ると数人の子どもたちが、手をあわせて小さなお辞儀をしながらニコニコしている。
   
     
目の奥から伝えようとするたった数秒。
       
       
まるで、美しい音楽が響いているような
心地よさが私たちを包んだ。
     
それは優しく温かい無音だった。
     
    
        
多分あれは”ありがとう”だったのだと思う。
     
      
    
 
あんなに静かで美しい
”ありがとう”を
私はたぶん、生まれて初めて聴いた。
        
   
     
本当に美しいものが聴こえるのは、
耳だけじゃないのかもしれない。

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